コミュニケーションは基本的に「誤解」?

「いかにしてマトモなコミュニケーションを成立させるか」という問いは、「決して100%にはならないコミュニケーションの伝達率を、いかにして100%に漸近させるか」、あるいは「いかにして健全な誤解を成立させるか」という問題とほぼ同義ですらあるような気がする。
日本語というあいまいな言語、明確な定義もなしに用いられる言葉たち、あまりに微小な情報量。
そのような不完全な情報から得られるのが不完全な理解でしかないことに失望するより、そのような不完全な情報からでも正解に至れるケースが少なからず存在するという、その事実にむしろ驚く。
それは、言葉を丁寧にコントロールして投げた努力が報われたというより、ストライクゾーンの広い受け手に出会うという幸運に恵まれた場合なのだろう。
そんなとき、その受け手とその幸運に、そして言霊の神に少しだけ感謝する。
おそらく、あまりに説明不足な走り書きのようなこんな記述自体、100%の理解を得るにはあまりに不親切かつ不完全だろう。伝達率ははたして何%くらいだろうか。